「洲本5人刺殺事件」

いわゆる「洲本5人刺殺事件」 出典
事件発生日 2015年3月9日 一審判決
被告人/受刑者 平野達彦 朝日15.3.9朝
年齢 逮捕時(15.3.9) 40歳
事案の概要 2015年3月9日の早朝、淡路島・洲本の民家2軒で5人がサバイバルナイフで殺害された事件。近隣住人である被告人が逮捕された。被告人は精神刺激薬を長期間大量に使用したことにより薬剤性精神病に罹患しており、その供述によると、電磁波兵器・精神工学兵器を使用した『精神工学戦争』の工作員である2家族(被害者ら)により自分も家族も攻撃されていると考え、被害者一家らへの報復及び国家ぐるみで隠蔽されている精神工学戦争の存在を裁判の場で明らかにすることを目的として5人を殺害したという。裁判では責任能力の有無が争われた。
第一審 裁判年月日 2017(平29)年3月22日 裁判所ウェブサイト

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裁判所名・部 神戸地方裁判所 第2刑事部
事件番号 平成27(わ)930
量刑 死刑
裁判官 長井秀典 倉成章 日巻功一朗
責任能力についての判断 起訴前後の二つの精神鑑定の結果などから、被告人が薬の大量服用で薬剤性精神病になったのは明らかだが、「殺害の実行に病気の影響はほとんど見られない」として完全責任能力を認めた。
控訴審 裁判年月日 2020(令2)年1月27日 裁判所ウェブサイト

判決全文[PDF]

朝日20.1.28朝

裁判所名・部 大阪高等裁判所 第6刑事部
事件番号 平成29(う)501
結果 破棄自判
裁判官 村山浩昭 畑口泰成 宇田美穂
責任能力についての判断 犯行が妄想性障害の強い影響を受けたことは明らかであるが、「自身を制御する能力は完全には失われていなかった」として心神耗弱状態だったとし、死刑から減刑した。
上告審 裁判年月日 2021(令3)年1月20日 毎21.1.23朝

D1-Law

法廷名 最高裁判所第三小法廷
事件番号 令和2年(あ)321
裁判種別 決定
結果 棄却
裁判官 林景一 戸倉三郎 宮崎裕子 宇賀克也 林道晴
理由 弁護人の上告趣意は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。
備考 2015年3月9日の午前4時頃、淡路島・洲本市の1軒の民家で2人がサバイバルナイフで殺害され、午前7時過ぎには約100メートル離れた民家で3人が同様に殺害された。現場付近に立っていた近隣住民である平野達彦被告人の服には血がついており、本人が各犯行を認めたため現行犯逮捕された(朝日20.1.28朝)。平野被告人が逮捕時に携行していたボイスレコーダーには各犯行時の音声が記録されていたという。

起訴前後に2度の精神鑑定が行われ、いずれも向精神薬を長期間服用したことによる「薬剤精神病」と診断がなされた(朝19.7.18朝)。

第一審の裁判員裁判において、平野被告人は、「工作員に仕組まれた完全な冤罪だ」と述べ、無罪を主張(中日17.2.8夕)。被害者参加制度に基づいて遺族が直接質問したが、供述を全て拒否した(読17.2.16大阪朝)。弁護側は、(1)被告人は精神工学兵器を使用して対象者に特定の感情・思考を植え付ける「ブレインジャック」なる技術によって強制的に殺意を植え付けられたものであるから、無罪である(被告人もそのように供述)、(2)被告人の本件各犯行は被害者一家らが工作員として行っていた電磁波兵器・精神工学兵器による攻撃に対する反撃として位置づけられる(被告人もそのように供述)、(3)被告人は各犯行当時、薬剤性精神病の影響により心神喪失あるいは心神耗弱の状態にあった疑いがある、と主張した。
判決は(1)(2)を否定し、また被告人の主張である正当防衛・緊急避難の成立も否定したうえで、(3)被告人は精神刺激薬リタリンを長期間大量に使用したことにより薬剤性精神病に罹患し、その症状として体感幻覚、妄想着想、妄想知覚等があった。各犯行の動機は妄想を前提とするもので、薬剤性精神病の影響はあるが、被告人には自分の行為が殺人として犯罪になるという認識があり、また、犯行前後の被告人の行動が合理的で一貫し、ある程度の計画性があることなどから、被害者らの殺害を決意し実行した被告人の意思決定と行動の過程には病気の症状は大きな影響を与えていない、とした。また、精神鑑定を行った医師の証言によると被告人は精神工学戦争に関する告発活動を続けるうちに自分は精神工学戦争と対峙する偉大な人間であるという誇大感を抱くようになっており、被告人が殺害という手段を選択したのは、工作員と戦うことは正しいことであって工作員を殺害することが正義であるという考えに至ったからであると考えるのが自然であり、被告人が社会に対して平素から感じていた劣等感・負い目なども考慮すると、そのような思考の流れに大きな飛躍はなく病気の影響は小さい、として完全責任能力を認め、死刑とした。

弁護側が、第一審判決には訴訟手続に法令違反、事実誤認(被告人のいう「精神工学戦争」に関するもの、正当防衛等に関するもの、責任能力に関するもの)及び法令適用の誤りがあるとして控訴。

大阪高裁は、控訴趣意のうち責任能力に関する事実誤認以外の論旨には理由がないとしたが、責任能力に関する事実誤認については、第一審で取り調べた精神科医の見立てで説明しきれるのか疑問の余地がないわけではなく、さらに、原判決の結論が死刑であったから責任能力の判断に万全を期す必要があるとして、改めて責任能力に関して精神鑑定を実施した。検察官の求めに応じて第一審鑑定人の尋問も実施し、実際の審理は、控訴審鑑定人、第一審鑑定人の順で証人尋問を実施した後、再度、控訴審鑑定人の証人尋問が行われた。被告人に生来の自閉スペクトラム症があることやパーソナリティの特徴、リタリンの使用障害(依存症)があったことなど両者の鑑定が一致する点もあったが、被告人の罹患していた精神障害の種別や、犯行に対する精神障害の影響については異なる鑑定となった。
第一審鑑定人は、約5年間のリタリン乱用歴や体感幻覚を重視し、被告人は薬剤性精神病に罹患していたと鑑別したが、薬剤性精神病が犯行時に悪化していたわけではないとし、第一審鑑定と同じく、犯行に対する精神障害の影響は限定的であるとした。一方、控訴審鑑定人は、被告人がリタリン使用時にリタリン中毒であったとの第一審鑑定人の見立て自体は否定しないものの、乱用中止後も長年にわたって被害妄想が持続しているだけでなく妄想構築が進んでいること、妄想が種々の点から妄想性障害の特徴に合致することから、被告人の精神病症状はリタリン乱用の影響(少なくともその影響だけによるもの)とは考えられないと第一審の鑑定を批判し、犯行時は妄想性障害(パラノイア)の病状が悪化し、長年かけて体系化した被害関係妄想、妄想知覚等が非常に活発な状態で、犯行は妄想の影響を非常に強く受けていた、とした。

判決は、控訴審鑑定人による被告人の精神病理の説明は明快で非常に説得的なものであると評価した一方、以下の点を挙げて第一審の鑑定に対し問題点を指摘した。
・第一審鑑定は、被告人の精神障害は薬剤性精神病としているが、犯行は薬剤乱用中止後相当期間が経過した後のものであり、控訴審鑑定人によると、そのような前例は存在しない。
・第一審鑑定は、犯行時に妄想が活発化していたことを認めつつも、それは生活状況の大きな変化によるストレスによるもので症状が悪化していたわけではないと説明しているが、この説明は納得し難い。犯行時、被告人の妄想が活発化していたのであれば、それがストレスによるものであっても、病状の悪化として捉えるのが通常であろう。
・第一審鑑定人の意見では、被告人の薬剤性精神病は控訴審鑑定のいう妄想性障害よりも重症であるとしながら、これが犯行に与えた影響の程度については控訴審鑑定人の見解よりも小さいとしている点について、不整合の感が否めない。
・第一審鑑定人の見解は、第一審での鑑定と控訴審での意見との間で、実質的に異なっているとみざるを得ない点(控訴審鑑定に触れて見解を修正したとみられてもしかたのない点)が存在している。特に、被告人の妄想と本件犯行についての関係の説明については、第一審では「明らかに妄想が活発化した形跡はない」「病状が悪くなって妄想が活発化したというわけではない」、また、犯行についても「少なくとも、犯行の時点では、ふだんの被告人の人格機能であった」としていたにも関わらず、控訴審段階では、「平素の人格機能が全く機能しないほど妄想に圧倒されていたとはいえない」としながらも「本件犯行は著しい妄想に影響されていた」と説明されており、責任能力についての結論に深くかかわる重大な点について第一審鑑定人が判断を変更したとみざるを得ない。

これらの検討の結果、判決は控訴審鑑定の方を信用性が高いと判断。被告人に存した精神障害は妄想性障害であり、犯行時その症状は非常に悪化しており、強い妄想を抱いていた、とした。
そして、判決は、妄想性障害であることをもって直ちに完全責任能力が推定されるなどと判断することは相当でないとして具体的に犯行の態様を検討し、被告人が犯行を違法なものと認識していたのは明らかであるが、妄想性障害に基づく妄想の強い影響から自己の復讐を果たして精神工学戦争の実在を明るみに出すことが正しいことであるとの認識で犯行に及んだ、また、犯行を思いとどまる能力(制御能力)は妄想のために著しく減退していたために本来の人格からは相当解離のある残虐な殺害行為を短時間のうちにためらいもなく次々と行った、とした。ただし、制御能力は完全には失われていなかったと評価すべきで、その責任能力は著しく減弱していたというべきであり、心神耗弱の状態にあったと認定するのが相当であるとして、第一審の死刑判決を破棄して無期懲役とした。

被害者の遺族らは検察側の上告を求めていたが、高検は「適法な上告理由を見いだせなかった」として上告を断念。弁護側は上告(毎20.2.13大阪朝)。

2021年1月20日、最高裁第三小法廷が上告を棄却する決定を出した。裁判官5人の全員一致の意見(毎21.1.23朝)。

事件前、インターネットのサイトに平野被告人とみられる人物が被害者を中傷する書き込みをしており、被害者側が兵庫県警に相談し、県警も見回りなどの対応をしていたという(朝日15.3.10朝)。また、平野被告人の家族らも10年前から計7回福祉事務所に相談、福祉事務所と市の職員が平野被告人を訪ねて面談したが、緊急性はないと判断していた(朝日15.3.13朝)。